ISLAM   〜ムスリムとして知っておくべきこと〜

『イスラームに関する質問 』

ムハンマド・ジャワド・シューリ


注:ウィルソン・H・グウェルティン(W)
     イマーム・シューリ(C)

  【質問4.宇宙の創造をイスラームはどうみるか】


W: 科学が発達するにつれて宇宙の創造に関する多くの疑問が浮かんできます。
そういった疑問の解答は聖書からみつけることはできないようです。
聖書には今日の科学知識に矛盾した言葉が含まれています。
ではイスラームの書に解答を見出すことはできるのでしょうか?

宇宙の年齢が非常に古いということが今では明らかにされており、数十億年という推定があります。しかし、聖書を読むと、わずか数千年ということになってしまいます。
宇宙年齢に関して、聖クルアーンには定義があるのでしょうか?



C: 聖クルアーンには宇宙年齢の定義はありません。
今のところ科学は、宇宙のはじまりがいつなのかを明らかにさせることができていません。 聖クルアーンは科学が未発達の時代に紹介されました。何十億年とか何百万年という時間を想像すらできない時代でした。
もしもクルアーンが星は何十億年前にできたと語っていたなら、イスラームの概念そのものが拒絶されていたでしょう。 クルアーンがこのことについて無言なのは賢明でした。

真実であるために必要なのは、知っている真実をすべて語ることではありません。
間違いを伝えないようにする必要があるだけです。
だから、宗教知識が科学知識と衝突しないように、科学説に対してクルアーンの扉は
開かれているのです。


W: 天体、星、惑星は、今、莫大な数が存在するとされています。
その一つひとつは驚異的であり、途方もなく巨大で我々の想像を絶するものです。
そのような無数の天体を成す物質量を計算しようとしても我々の能力は限界です。
クルアーンはこうした天体の物質が何かを述べていますか?



C: 聖クルアーンは、天体は気体から成ると語っています。
水素ガスとする現代の科学説と一致します。

クルアーンにはこうあります。
「それからまだ煙(のよう)であった天に転じられた。そして天と地に向かって、『両者は、好むと好まざるとに関わらず、われに来たれ』と仰せられた。天地は(答えて)、『わたしたちは喜んで参上します。』と申し上げた。」(41:11)


W: 聖クルアーンは最初に創造された物質について述べていますか?


C: 先ほどの節によると、煙のようなもの、すなわちこの世界で最初に存在したのは
気体の分子および原子だということが示されています。


W: 全能主は生命を何で創造したのでしょうか?


C: 聖クルアーンは、神はすべての生命あるものは水から創造されたと宣言しています。 「信仰しない者たちは分らないのか。天と地は、一緒に合わさっていたが、われはそれを分けた。そして水から一切の生きものを創ったのである。かれらはそれでも信仰しないのか。」(21:30)

「またアッラーはありとあらゆる動物を水から創られた。そのあるものは、腹で這い、またあるものは2本足で歩き、あるものは4つ足で歩く。アッラーは御望みのものを創られる。本当にアッラーは何事につけ全能であられる。」(24:45)

《創造の順序》


W: 聖書の創世記にある宇宙創造の順序に関する内容をクルアーンは支持しますか?


C:クルアーンには創造の順序を語った節はありません。
ムスリムは創世記の一章の内容には矛盾がみられるため同意しません。


W: ではその矛盾の例を示してください。


C:次の例をみてください。

1.「そのとき、神が『光よ。あれ。』と仰せられた。すると光ができた。神はその光をよし      と見られた。そして神はこの光と闇とを区別された。神は、この光を昼と名づけ、この      闇を夜と名づけられた。こうして夕があり、朝があった。第一日。」(創世記1:3−5)

これによると最初に創造されたのは昼と夜となっていますが、昼と夜は太陽が存在した後、日の出と日没により発生することはわかっています。しかしながら、同章の第十四節には、太陽が創造されたのは第四日目となっています。

ついで神は、「光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のために、役立て。 天の大空で光る物となり、地上を照らせ。」と
仰せられた。するとそのようになった。 それで神は二つの大きな光る物を造られた。
大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。また星を造られた。 神はそれらを天の大空に置き、地上を照らさせ、 こうして夕が
あり、朝があった。第四日。(創世記 1:14‐19)

これによると太陽が創造されたのは第四日目で、ここから日が始まらなくてはならない。 明らかに第三節と矛盾しています。
三節では、太陽が形作られる三段階前にすでに日が始まっています。

2.同じ章にこうあります。
     神が、「地は植物、種を生じる草、種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ
     果樹を地の上に芽生えさせよ。」と仰せられると、そのようになった。
     それで、地は植物、おのおのその種類にしたがって種を生じる草、おのおのその
     種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ木を生じた。神は見て、
     それをよしとされた。(創世記 1:11−13)

しかし、植物や木が太陽なくして実らないことはわかっています。
先に述べたように、同じ章には太陽が創造されたのは第四日目となっています。

3.同章には、神は第六日目に人間を神のかたちで創造されたとあります。
     そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。
     そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべての
     もの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。
     神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。
     神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。(創世記 1:26−27)

ムスリムは神にかたちはないと信じます。
全宇宙を包含する全能主には限定がなく、からだや物質的要素はなく、目に見える
存在ではありません。神が人間のかたちをしているという概念は、ムスリムにとって、
神の概念そのものを貶めていることになります。

4.第二章は第一章と矛盾しています。

お分かりのように、第一章には、植物や木が創造されたのは人間が創造された
六日目以前の三日目とあります。
でも、第二章には、人間は植物や木よりも前に創造されたとあります。

これは天と地が創造されたときの経緯である。
神である主が地と天を造られたとき、 地には、まだ一本の野の灌木もなく、 まだ一本の野の草も芽を出していなかった。それは、神である主が地上に雨を降らせず、土地を
耕す人もいなかったからである。
ただ、霧が地から立ち上り、土地の全面を潤していた。
その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。 神である主は、東の方エデンに園を設け、
そこに主の形造った人を置かれた。 神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。 園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木とを生えさせた。 (2:4−9)

ここには人間の前に植物は存在しなかったことが明白に示されています。
それから、木に善悪の知識があったとされていますが、知識は木に実るのではなく、
学びと経験から得るものです。

5. 一章によると、動物界は第五日目に創造されています。
     ついで神は、「水は生き物の群れが、群がるようになれ。また鳥は地の上、天の
     大空を飛べ。」と仰せられた。 それで神は、海の巨獣と、その種類にしたがって、
     水に群がりうごめくすべての生き物と、その種類にしたがって、翼のあるすべての
     鳥を創造された。神は見て、それをよしとされた。 神はまた、それらを祝福して
     仰せられた。「生めよ。ふえよ。海の水に満ちよ。また鳥は、地にふえよ。」
      こうして、夕があり、朝があった。第五日。(1:20−23)

人間が創造されたのは魚や鳥などの生き物の後となっていますが、第二章では
これら生き物の前に人間は創造されたとあります。

その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼の
ために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」
神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それに
どんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。
人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となった。(2:18‐19)

6.創世記第三章によると、イブは禁じられた木の実を食べるよう蛇にだまされたと
     あります。

     蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、      ほんとうに言われたのですか。」 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を
     食べてよいのです。 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがた      は、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけ
     ないからだ。』と仰せになりました。」 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは
     決して死にません。 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、
     あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
     (3:1−5)

しかし、蛇は話しができないし、誰かを騙したり説き伏せたりはできません。
言葉を話したり会話したりする能力や思考力は蛇には授けられていないのです。

7.同じ章では、神の知識に限界があったり、神が歩いたり、アダムとイブが神から
隠れることができたように語っています。

そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。
それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。
神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」
彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、
隠れました。」 すると、仰せになった。「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。」 (3:8‐11)

神は永遠なる存在、全知全能の主です。神は、アダムにどこにいるかと尋ねたり、
木から食べたのかと尋ねたりする必要はありません。



blue-a5.gif(1025 byte) 質問5.宇宙の創造主       



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