ISLAM   〜ムスリムとして知っておくべきこと〜

『イスラームに関する質問 』

ムハンマド・ジャワド・シューリ


注:ウィルソン・H・グウェルティン(W)
     イマーム・シューリ(C)

  【質問3.イスラームはなぜ人気なのか】


W: 歴史が示しているように、イスラームは初期時代からアジア、アフリカ、ヨーロッパに急速に広まりました。おそらく、世界でイスラームほど早く広まった宗教は他にないでしょう。こうした現象の要因として、イスラームには他の宗教にはない何かがあるはずです。急速な広まりの要因は何だと思われますか?


C: 多くの理由がありました。今もイスラームは広まっています。
その理由として以下の4点があります。

1.聖クルアーン

クルアーンは生きた書である。
その美しさと文体を通して莫大な数の人々を魅了してきたという事実は否定できない。
クルアーンの表現の優越性は今でも他に負けないものがある。クルアーンそのものが、クルアーンを信じない反論者にこれと同じものが作れるなら作ってみよと要求している。  反論者に同等の節を作り出せたるなら彼らは迷わずイスラームの教えそのものを否定  
するだろう、とクルアーンは繰り返し語っている。  
啓示があった7世紀以来、どんなアラビア語文学と比較してもクルアーンに優るものはない。聖クルアーンは紹介されてから今に至るまで、イスラーム信仰の魅力の源であり続ける。

2. イスラームの預言者の人格

ムハンマドは光輝く歴史の下に誕生した。ムハンマドの生誕、存在、部族の中での生き方を曇らせるものはなかった。
他の預言者が宗教の歴史の役割とされるなら、ムハンマドは宗教の歴史と世界の歴史両者の役割といえる。
ムハンマドは神の使徒に命じられる40年前、メッカ人の間でよく知られていた両親から生まれた。幼年時代から成人するまで人びとは彼を観察していた。仲間からは誠実で

気高い人とみられていた。ムハンマドの中に過ちを見る人はおらず、彼は「誠実な人」と呼ばれていた。

ムハンマドは孤立した人ではなかった。その反対に、常に人びとと接して生きていた。
商人として旅をしながらあらゆる階層のあらゆる民族の人びとと接していたが、人間の
低俗な欲望や世俗的野心に影響されることはなかった。偶像崇拝に支配された多神教徒の社会に生きていたが、そういった教えを信じたことはなく、多神教の信者ではなかった。敵からは尊敬され、友からは称賛される人だった。歴史上、自然に教友から従われた預言者はムハンマドの他にはいなかった。

3. 初期ムスリムの信仰の強さ

ムハンマドの魅力的な個性と完璧な誠実さに影響されて、教友たちは飛びぬけて強固な信仰心を持っていた。ムハンマドの模範的生活に直に触れたことが彼らの信仰の基盤にあった。

モーゼの従者がエルサレム入りを命じられたとき、彼らはモーゼと主は敵と戦うべきといって拒んだことが伝えられている。イエスを囲む大衆は、危機が訪れるとイエスを置き去りにした。弟子さえもがイエスを見捨て、運命のあの夜、弟子の長すらイエスを三度も拒否した。ほとんどの預言者は同じような状況に直面していた。危機がやって来ると、どの預言者も従者から真の助けを得ることはなかった。

しかし、ムハンマドの教友は違っていた。ムハンマドがメッカに住んでいたとき、彼と何百人もの従者には法的保護が全くなく、無力だった。従者全員が危機の試練に立ち向かい、教えを放棄する者はいなかった。従者の信仰心と預言者への信頼は、こうしたムスリムたちの行為が証明している。ムスリムたちは誰もがイスラームを宣教し、宣教したことを実践していた。誠実なムスリム各人の言行が信仰を支えていた。

4. イスラーム教義の明瞭さと論理性が魅力の源

真剣に熟考した後には、次のように宣言した宗教の教えを容易に受け入れることができよう。すなわち、神は全宇宙を創造した創造主の他になく、その主の他に信仰に値する御方はいない。創造主のみが主であり、主には配偶者や息子はない。主は子を産んだり、生まれたりしない。公正で、慈悲深く、偉力ある御方であり、肉体をもたず、神人同形でもない。主の偉力は宇宙全体を包含する。

このように単純明快、妥協のない一神教は、世の存在説明を求める人間の心にすっきりと入ってくる。神が一つであると同時に一つ以上であるとか、一人の人間から生まれ落ちた人間が神であるといった混乱を招く教えではない。

5. イスラーム教義の一貫性と総合性
 
イスラーム教義には矛盾がない。
イスラーム教義はその他に確立された真実とも一切矛盾していない。
キリスト教、ユダヤ教、イスラームは、どれも神の公正・正義を訴えているが、この根本概念に徹底的に従っているのがイスラームである。

神の公正以外の宗教概念は、この根本概念に組み込まれたもので、この「神の公正」という概念から切り離せない。公正な神は、その人の能力外のことを強しない。

イスラームでは、最も公正な神は各人が選んだ行為以外に責任を負わせにはならないとも教えている。父親や先祖の犯した罪の責任を負うことはない。その人には父親や先祖の行為をコントロールできないからである。

父親の罪に責任を負うことがないのであれば、人類が存在する以前の罪に神が全人類を責めるということはない。神に対するそのような主張は「神の公正」という概念に矛盾している。イスラームは人類に原罪の重荷を負わせるのではなく、また人間一人ひとりが罪を負って生まれてくるのではなく、純正の魂として誕生し、成長して自身が罪を犯してはじめて純粋ではなくなるのだと教える。

6. イスラーム教義は人間生活のあらゆる面に肯定的

他の多くの宗教と異なり、イスラームは人間の営みにおいて、精神面と物質面の両者の重要性を強調する。
イスラームによれば、神は人間に生物的要求を軽視させない。
拠って、肉体の欲求と精神上の発展には、本質的な衝突がない。
逆に、この二面は相互依存するものとし、精神と肉体の要求は結合したもので、
人間活動のほとんどを統一する。
飲食、身体の保護、身を守るための住居、といった必要不可欠なものが満たされていない人に、瞑想、祈り、他者への善行は望めない。
だが、これらを満たした人は、容易に主に向かうことができる。
拠って、肉体的要求を満たすための良き意図に従った行為は、宗教義務の一部でなくてはならない。

イスラームでは、宗教は肉体的要求を抑圧するものではなく、その育みを目指したものであり、過度の欲求の防止や、自身や社会に及ぼす害の防止が目的である。

7. イスラーム教義の普遍性

 イスラームの教えの普遍性は、人種に関する差別のないことや、預言者ムハンマド
以前の預言者の全員を受け入れていることから理解できる。
イスラームの到来時から、イスラームはこの普遍性という独自性を維持している。
イスラームは国籍や民族に関係なく全人種に向けられた教えである。
人間は誰もが大家族の一員。神に選ばれた人間や国はない。
誕生や国籍で優遇されたり、特定の教義を信じるからといって優先されたりしない。
神の目には、人間は誰もが平等であり、その人が誠実ならば、神の王国に近付く権利は誰もが平等に持っている。

一つの真実ともう一つの真実が互いに矛盾するということはありえない。
だからイスラームはこう宣言する。すなわち神聖なる教えは唯一無二であり、神は異なる時代に異なる使徒を遣わして人類に同じ真実を伝えた。神がある使徒にはある教えを啓示し、別の使徒には別の教えを啓示したというのは考えられない。

神の法と教えは文明の異なる段階の人間の理解能力に合わせて啓示された。
続く時代に下された啓示は、以前の啓示の補足であって矛盾するものではない。
拠って、イスラームは、イエス、モーゼ、真の預言者全員を受け入れ、その教えを尊重
するようムスリム各人に義務付けている。

聖クルアーンはこのことを繰り返し語っている。
「言え、『わたしたちはアッラーを信じ、わたしたちに啓示されたものを信じます。また
イブラーヒーム、イスマーイール、イスハーク、ヤアコーブと諸支部族に啓示されたもの、とムーサーとイーサーに与えられたもの、と主からの預言者たちに下されたものを信じ
ます。かれらの間のどちらにも、差別をつけません。かれにわたしたちは服従、帰依
します』(2:136)」

イスラーム初期時代のムスリムに接触のあったキリスト教徒は、ムスリムがイエスを深く尊敬するのを見ていた。そのために、何百万人ものキリスト教徒がイスラームに帰依していた。これは決してイエスの教えを放棄したわけではなく、イスラームの首尾一貫した教えのうちにある、イエスの伝えた真の教えに、忠実に従おうとしたからにすぎない。


W:イスラームはキリスト教徒の慣習のように宣教師を非ムスリムに送ることを推奨していますか。


C:キリスト教と同じように、イスラームも人々を教えに招待し、非ムスリムがイスラームに従うよう勧めています。しかし、イスラームはキリスト教徒のように組織だった宣教を
したことはありません。
非ムスリムがイスラームについて知りたがっている時には、イスラームを知らせることがムスリム各人の義務ではありますが、組織だった宣教とは随分異なります。

キリスト教徒のように組織だった宣教がない理由の一つとして、イスラームには聖職者がいないということが挙げられます。また、莫大な数のムスリムがイスラームは宣教師がいなくても自ずと広まると考える傾向にあるのがもう一つの要因です。

このような傾向があるのは、ムスリムが特に努力をしたわけではないのに、イスラームにとって目を見張るほどの益を得たことの結果でした。多くの国々の何百万という人びとがイスラームに帰依したのは、組織的な宣教を通してではなく、ムスリム個人との接触でムスリムの誠実さや理に適った教えに感銘を受けたためでした。
ムスリムたちが信仰を伝えたのは宣教団として権威者から派遣されたからではなく、
イスラームはムスリム各人の務めだとムスリムは信じていたからでした。

私自身、何度か西アフリカに行ったことがあります。そこで大勢のキリスト教宣教師に
遭遇しましたが、ムスリムの宣教集団を全く見かけませんでした。
この分野の人々の同意するところは、あの地域ではムスリムの宣教師は不在なのに
キリスト教よりイスラームが急速に広まっているということでした。


W: 世界のキリスト教宣教師の数に関する情報はお持ちでしょうか。


C: (1961年4月2日付デトロイトニュース紙によると)世界のキリスト教宣教者数は212,250人。その中の170,000人がカトリック、42,250人がプロテスタントの宣教師。
この巨大な宣教軍団は何千という宗教組織に支援され、毎年、宣教活動のために
何十億ドルも費やしています。

これに比べてムスリムは世界に多少の情報センターを持っていますが、その数は千にも及びません。こうした情報センターはキリスト教宣教師が受けているほどの財政援助はありません。改宗させるのが目的ではなく、イスラームに関する情報を求める人たちに
限られた情報を提供しているだけなのです。


W:イスラームの浸透の理由にイスラームの教えが甘いからだという指摘があります。
そう指摘する人たちは、イスラームはキリスト教など他の宗教ほど信者への要求が強くないと思っています。これについての意見を聞かせてください。



C: その意見は正しくないと思います。
他の多くの宗教と比べてイスラームは従者に多くを求めます。
ムスリムは日に5回の義務の礼拝が課せられています。
日の出前、正午、午後、日没時、夜の礼拝をしなければなりません。
毎年、ラマダン月には30日間続けて断食しなければなりません。
断食中は日の出から日没まで一切飲食できませんし、タバコを吸うこともできません。
イスラームは健康で経済的に可能なムスリムの成人にメッカ巡礼を義務付けています。メッカとその周辺の聖地を巡礼し、巡礼中はあらゆる贅沢から離れ、一定期間、衣服ですら放棄しなければならないのです。

また、ムスリムは、毎年、自分の稼ぎから一定の富を喜捨しなければなりませんし、
豚肉と飲酒が禁じられています。
こうした義務の実践は決して容易なことではありません。
こういった義務行為をみればイスラームが決して手ぬるい宗教ではないということが
わかります。

また信者は他者と兄弟のように接し、その人たちの信望を守らねばならず、その人たちから害を受けたとしても中傷してはならないと命じられています。信者に要求されたことは決して甘くはありません。


W: イスラームは善良なムスリムに天国で望むままの快楽を約束していると言って批判する人がいます。人がイスラームに惹かれるのは、キリスト教を凌ぐ約束のためだと批判者は主張しています。


C: 約束が魅力的なのは、確かな根源から来た約束のときだけです。
競争相手の企業からより良い給料のオファーを受ければ、その職を選ぶでしょう。
一方、信頼できない企業や破産寸前の企業からオファーされても、財政的に信頼できなければ断ります。

改宗者がイスラームを確信していなければ、約束のために進んで多くの義務を果たそうとしたり、限りなき欲望を自ら放棄したりはしないと思います。約束の根源が信頼できなければ、その約束に惹かれることはありません。約束に惹かれるのは、その約束の根源に確信があるからです。信仰は約束に惹かれることよりも重要です。


W: 歴史によると、初期時代のムスリムは戦士でした。シリア、エジプト、北アフリカ、
スペイン他、多くの地域で、大勢のムスリムが非ムスリムと戦いました。イスラームが
広まったのは説教や討論を介してではなく武力であるとの批判があります。



C: 武力は身体を支配できても精神を支配することはできません。
征服者が武力で人や共同体を征服できても、征服者が正しいということを信じさせることはできません。アルジェリア人は約100年間フランスの植民地として征服されましたが、だからといってアルジェリア人は征服者を愛しませんでした。機会を得るや否や、征服者に反乱し、支配を覆しました。

イスラームが武力で広まったと信じるのは理に適っていません。
ムハンマド一人が何千人という莫大な数の人々に信仰を強制することはできません
でした。歴史が証明するように、ムハンマドはイスラームの宣告から13年間、メッカで
暮らしていました。その間、ひっきりなしに敵のメッカ住民の脅しにさらされていました。イスラームを信仰しようとすれば脅され、メッカ住民から迫害を受けていました。
にもかかわらず、ムスリム人口は着実に増加しました。ムハンマド自身が迫害されて
いた状況で、武力で改宗を強制したというのは考えられるでしょうか?

後の段階になってからムスリムは敵と戦うだけの力を得ました。
イスラームのために戦ったことは歴史からわかります。
しかし、武力でイスラームに改宗させたという意味ではありません。
インドネシアのムスリム人口は1億人を超えます。
西アフリカでは何百万もの人々がムスリムになりました。
それほどの人口がイスラームに改宗したのは、その地域にやって来たムスリムの商人や教育者と平和的な接触があったからでした。

しかしながら、ムスリムが闘争的であるということを否定する理由はありません。
実際、ムスリムは自分たちの自由を守るための防衛に長けていました。
イデオロギーとか思想は自由なき社会では広まらないし、生き残ることはできません。
どんなイデオロギーや思想の発達にも信仰や発言の自由は必要不可欠です。
自由を保護する法が不在のとき、人は自身の手で守ろうとします。
それがその思想またはイデオロギーを信じる人の義務でしょう。

初期時代のムスリムの軍事力を正当化できないというのであれば、敵の脅威から自国の自由を守るために武器を手にする現代国家の軍事力を正当化することはできません。



blue-a5.gif(1025 byte) 質問4.宇宙の創造をイスラームはどうみるか       



イスラーム ムスリムとして知っておくべきこと

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